被害者の立場(2)

被害者の立場(1)

近しい人が亡くなってしまった。重い障害を負ってしまった。
人を襲う不幸はさまざまで、被害者の心情もさまざま。

ここで不幸は決して消し去ることはできないものとすると、たとえば以下のような不幸が存在する。

不治病(死なない) < 全身火傷(顔以外) < 肢体切断 < 盲目 < 顔面火傷(異常) < 半身不随 < 大切な人を何かに亡くされる(自身は健常) < ガンなど余命わずか

私の場合は火だるまにより全身にわたる醜い跡が一生消えないこととなってしまったので、左から三つ目のレベルとなる。

この不幸をそれほどでもないとか言ってくる人も多いけど、もうぜんぜん一流の不幸だと思っている。逆に私がある人の不幸をたいしたことないと言ったら、なんぞ!と不幸レベルの高さを力説されたこともある。

なので、不幸というのは、当人の捉え方次でいかほどにもなる、簡単に他人に推し量れるものではないと思う。

だから人によっては上の大小関係は違う順になるはずだし、もちろんここにあげてある項目も人によって違うはず。


私の不幸は大きいものだし、決して消すこともできない。
けど、忘れることはできる。というか忘れなければ生きていけない。
余命がわずかのガンは、忘れることを許されなく、刻々と死がやってくるのをただ待つだけということで最上位となったが、それ以外は、極端な話、目をつぶって自分は幸せだと言い聞かせることができなくはない。
そういう意味では、私の不幸にも救いがあるじゃないか。
自分より不幸を探して自分を楽にさせる、ガンの人には悪いけど、不幸を相対視することでも救いになる。
長い人生にはいろんなイベントがあるもので、不幸を上回る幸福もあるだろうし、肉親もいつか必ず死なれるものだし、不幸もひとつではなくなってくる。すくなくともいま一番きついと思っている不幸の割合は確実に減っていく。

自分の火傷の場合も、一時は生きる希望を失ったものだが、ある一定の時期を過ぎてから、たしかに忘れるようになった。
どうも仕事量に比例してどんどん忘れるようで、仕事ばかりしてたらお金もたまるし、過酷なサラリーマンがある意味都合よい。グローバル競争バンザイとか思うの自分ぐらいじゃないか。