個人による報道の賛否、動画サイト投稿の反響を受けて

GIGAZINEの事件報道にウェブの明日を思う - novtan別館
個人報道にないのは「報道としての選別」。


http://d.hatena.ne.jp/YOSIZO/20080609/1212951589
流れた映像に映った人たちのプライバシーはどうなる。


秋葉原の事件で個人によるUstreamを使った中継がなされました。 … - 人力検索はてな
表現の自由を規定した憲法21条とプライバシー権憲法13条の幸福追求権から派生のバランス。

youtubeにあるような衝撃的な現場映像が単に人の好奇心を満たすだけのものだとしたら、社会的に何の意味があるかがよくわからない。

しかし、好奇心を感じるところから始まって、たとえば社会背景の問題提起や無差別犯罪防止策などの議論のきっかけになるものだとしたら、意味はあると思う。もちろんこの役割はこれまでマスコミが担ってきたのだけど、間違った事実、偏った意見を報道してしまうことがあるのも事実で、多くの個人の視点からはじまるもので補完できてもいいのではないだろうか。

ただ、あってもいいけど個人任せにはまた別の問題がある。中には事件を面白おかしく創作したものや、衝撃的な場面だけをつなげたものなど。度を越している動画があることも事実だ。かくいうわたしも現場の動画をアップした一人なので、いろんな反響と同時に批判も受けることとなった。被害者に対して失礼だ。撮影せずに助けろ。単なるマスコミごっこだなど。なかには見当違いの指摘も多いが、たった一つの動画なので誤解を持つのも無理もないことだとも思う。そうした意見には一つ一つ応えていくのがアップしたものの責任だと思う。

マスコミだけでなく個人も映像が発信できるインフラが整い、いろんな動画を見たいという人と、いろんな動画を見せたいという人がバランスしている限り、良識、非良識をない交ぜにした圧倒的な量の動画が、今日も次々とアップされ続ける状況はもはや止めることはできない。責任はそれぞれにゆだねるしかないのが現実だ。